北海道ひとり旅
 



正直に言うと、北海道をひとり旅することになったのは、僕の意志ではなかった。
僕が行くちょうど4年前の夏、僕の兄もこれをしていたのだ。
「來田家は中学1年になったら一人旅をするんや」と、その頃僕の父(なぜか母も)が言っていたのを思い出す。
「なんで?」と訊いたかもしれないが、多分納得のいく答えは返ってこなかったと思う。
それから4年間、普通の日々はあっという間に過ぎ、気がつけば中一の夏が来ていた。

こうして、死ぬほどの不安の中、僕の人生初めての一人旅が始まった。

2005年12月28日  來田猛

                     

                       
                    
「頑張れよ!」

1994年8月9日〜10日
18時22分。JR京都駅から函館に向けて、日本海1号が出発しました。
苦笑いしながら手を振る僕に、リラックスした表情でお父さん達が立っている。
「ああ、とうとう来る時が来たか」と、心の中で思いました。
電車の中で、僕は死ぬほど暇でした。話し相手がいないのはこれが初めてでした。
午後9時半になり、僕は寝ることにしました。初めての寝台特急で寝心地が悪くて落ち着かず、それに隣の人が、起きているときはタバコ臭く、寝たらいびきがうるさく、とうとう寝るのは10時半になってしまいました。

ふと目を覚ますと翌朝の7時4分だったので起き、ベッドの上でふとんをたたみました。それから4時間、流れる景色を見ていた僕は、11時16分函館駅に到着し、何時間ぶりかで立ち上がりました。
まだ北海道に来たような実感が湧きませんでした。
それから洞爺駅行きのスーパー北斗7号に乗り換えました。それからの1時間半はほんの30分ほどに感じました。
昼に食堂車でカレーラーメンを食べ、13時37分、洞爺湖温泉行きのバスに乗りました。
本当ならそのバスターミナルで、大きな荷物だけをコインロッカーに入れるはずだったけれど、ミスってそのまま洞爺湖中島行きの洞爺湖汽船に乗ってしまいました。
中島の横の弁天島というところで降り、店を見て歩いていました。
店の人に「君、一人で来たんかい?」と、聞かれたので、「はい」と答え、それからの予定などを話していました。そのあと二人の優しいアルバイトの船案内の人に、「困った時にはまたここにこいよ」「頑張れよ」などと、いろいろ励ましの言葉をもらいました。
ひとつ心残りなのは、その人たちの住所を聞くのを忘れていたことです。
バスターミナルに戻り、二階の虻田町立火山科学館を見てまわりました。体験室では、実際にカメラで撮った昭和新山の生の噴火を、映画館より大きなスクリーンで見ることができました。余りおもしろくなかったけれど、ひとつ良い経験になりました。
それから20分ほど、バスターミナルでバスを待ち、今日泊まる予定の昭和新山YH(ユースホステル)に行きました。
同じ部屋の人は、とても親切だったのでベランダから一緒に花火も見てくれました。
とても良い一日でした。


「ぞうりがない!」

8月11日 木曜日 晴れ
1日目に、今日行く予定の昭和新山の恐ろしい噴火の写真を見てしまい、少し怖いところもあったけれど行きました。
昭和新山にはロープウェイがなかったけれど、向かいの有珠山には架かっていたので、それに乗りました。少し昨日の映画が気になりドキドキしていましたが、写真でしか見たことがなかった昭和新山と有珠山とを見ることができ、本当に感動しました。
それから20分ほど遅れて、登別温泉行きのバスに乗り、今日泊まる予定の金福YHに行きました。とても優しいおばさんが出てきて、本当なら3時以降からしか入れないのに、1時半ぐらいから入れてくれました。それから2時までの間に、電車の中で買った駅弁を部屋で食べました。
2時10分、道のりを教えてもらってから、登別熊牧場に行きました。かなり遠かったけれど「旅はそんなものだ」と、自分に言い聞かせながら行きました。往復大人2,300円のロープウェイの券をもらって登っていきました。
最初に見たのがヒグマでした。大きな檻の中で一匹だけが騒いでいるのを見てかわいそうになり、たくさん熊がいるところへ場所を移しました。おやつを持っている人の方に手を振って、それをもらおうとしている熊に、僕もおやつをやりたくなり二袋も買いました。帰り際に熊のサーカスを見ました。そこでは、熊が立って歩いたり逆立ちをして歩いたりしていたのでとても驚きました。
そのあと、有名な地獄谷の方へ歩いて行きました。ゆで卵みたいな臭いが漂っていて、耐えられなくなり、たった20分ほどで出てきました。
最後はYHのおばさんに勧められていた「さぎり湯」に入りに行きました。大金を持っていた僕は、コインロッカーに入れるために百円玉を五十円に両替してもらおうと、番台のおばちゃんのところへ行きました。するとおばちゃんが「こんなところで盗られへんよ、おばちゃん見といてあげるし」と言ってくれたので、安心して入りました。やっぱり温泉の湯なのですごく熱かったけれど、出てきたときは最高に気持ちよかったです。
「さあ、帰ろうか」と思った時、足もとを見たらどこにもぞうりが見当たらないので、番台のおばちゃんに「僕のぞうりどこですか」と聞くと、「そんなん知らへん」と言われたので、「知らへんて、ちゃんと見てくれるって言ったじゃないですか」と言い返すと、「そこまで見てられへんよ」と言われ、ムッチャむかついたので「これもらって行きますよ」と、端っこに置いてあったつっかけを持って行きました。
しかし、そんな思いもYHのおいしい料理でふっとんでしまいました。
内容は、トンカツ、豆腐、お味噌汁などお母さんが作ってくれそうな料理ばかりだったからです。
同じ部屋の人は、十九歳のまじめそうなお兄さんで、前日の昭和新山YHで会った人のように優しい人だったので、さぎり湯の嫌な思いもどこかに消えてしまいました。


8月12日 金曜日 曇り
今日の朝は、15分寝坊の7時10分に目を覚ましました。
起きてしばらくしてから朝ご飯を食べ、すぐに出る用意をしました。
8時15分、「じゃあ本当にありがとうございました」と言ってからバス停まで行き、バスで登別まで行き、登別駅で40分ぐらい待って予定のスーパー北斗1号に乗りました。
苫小牧の駅に着いて、10時15分から1時間近く、ずっと駅をうろうろしていました。
やっとこさバスが来たので、遅かったなあなどと思いながら、ドサッと椅子に座りぐっすりと寝ていました。
「はっ」と目が覚めたら、そこはもう終点の支笏湖半でした。
5分ぐらいオーバーして寝ていた僕は、バスの運転手さんに、「支笏湖畔YHってどこですか?」と聞くと、「そこの坂をずっと下におりたところにあるよ」と、優しく言ってくれたので、僕もにこやかな顔をして、「あ、どうもありがとうございます」と言って、言われた通りにずっと坂を下りていきました。
ところが、行っても行ってもYHは見えず、結局見えてきたのは「立ち入り禁止」の建物だけでした。(嘘つくなよ)などと思いながら、30分近く探していると、それらしき建物が見えてきました。(ほっ。やっと着いたか)
玄関に入ると「受付は裏でして下さい」と書いてあったので、裏の受付まで歩いて行きました。すると「受付は三時から」と書いてあったので、しょうがなくミーティングルームに荷物を置いときました。
そのあと、釣り道具だけを持ってあのきれいな支笏湖へ釣りをしに行きました。
楽しみに用意をしていたら、僕は一番大事なリールを違うかばんの中に入れたままにしていました。「うわーッチッチッチ」と舌打ちしてから片づけて取りに行こうとしましたが、今度は竿の先が伸びきってしまっていて、2時間も竿を戻したり遊んだりしながら粘っていたのですが、とうとうあきらめてYHまで受付をしに戻りました。
受付は思った以上に早く終わり、自分の部屋でのんびりしていました。
このYHは全部がベッドで、この二日間ベッドで寝たことがなかったので、とても嬉しかったです。
5時頃になってから家へ電話をすることにしました。「6時に食事だからそれまでには帰ってきてよ」と言われていたので、お風呂にはいるため5時半には帰ってくることにしました。
すごくぬるい湯だったので、後でくしゃみばかりしていました。(いちいち何で集まらにゃあかんにゃろ)と思いながら、6時丁度に食堂へ行きました。
すると、すごく豪勢な料理でした。それは、みんなで囲むジンギスカンで、ひとつのテーブルは5人だったけれども、余るほど多い量でした。みんなで食べ終わってから、僕は自分の部屋に戻り同じ部屋の人達としゃべっていました。
その中の一人で三谷一孝さんという人は、とても優しくてすぐに友達になりました。そのたまたま次の日も連泊する予定だったので(うわー嬉しいなぁ一緒やなぁ)と一人で嬉しがっていました。
そうしていると、「おい坊主、明日なにか予定あるか?」と聞かれたので、「いや、明日はちょっと釣りでもしようかと思ってるんですけど、まだはっきりとは決まってないんですけど」「じゃあ、明日はサイクリングするか!」
この人は今、静岡大学の4回生でサイクリング部の一番年上、部のみんなとは別行動をして明日の5時にみんなと待ち合わせだったため、それまでの間は暇だったようです。
「ところでサイクリングって言っても、どこ走るんですか?」
「支笏湖一周、お前かっこいいぞ。『僕その支笏湖なんですけど、自転車で一周したことあるんですよ』とか言ってみろ、すっげいかっこいいじゃん」
「いやぁそれはいいんですけど一周って何キロあるんですか?」
「うぅん、そうだな50キロくらいとちがうかなぁ」
「えっ、そんなにいっぱい一日で走れるんですか?」
「大丈夫だ」
と、話が決まると、早速寝ることにしました。


「これからですねえ」
「もうすぐですねえ」
「ぼうずですねえ」

8月13日 土曜日 雨〜曇り
今日は朝から雨でした。(あぁあ、何でこんなに雨男なんやろ、ま、いいわ洗濯でもしてからゆっくり寝よ)などど、ずっと後のことを考えながら、朝食を食べに行きました。
食べていると、向かいに座っていたお姉さんが「雨やんできたね」と言わはったので「え、本当ですか!」と言ってすぐに外を見ました。
すっごくすっごく嬉しくて、朝食なんか食べられる状況じゃありませんでした。
9時45分。とても緊張しながらYHを出ました。
はじめのうちはまだ力もあり、また平坦な道だったので楽でした。
「よし、ちょっとそこで写真撮ろ」と、オコタンぺ湖行きの坂の前で写真を撮りました。
「これからですねぇ」
「こんなん、この坂登っていったらおしまいおしまい」
その言葉を聞いて(おぉさすがだ)と感激していました。
しかしその言葉を聞いて安心していたのは束の間で、上り坂はまだまだ続きました。
何キロも何キロも、ずっと坂を登っていくと、札幌行きの道とオコタンぺ湖行きの道とに分かれていました。(おぉぉぉぉやったぁぁぁぁもうすぐだ、もうすぐだ)
「もうすぐですねぇ」
「おぅもう少しだ」
もう少しだ!というのは、べつにもう少しで支笏湖一周だというわけではなく、オコタンぺ湖までがもう少しということです。
11時30分。
「なんやかんや言っても、やっぱり1時間以上かかりますね」
少し嬉しい顔をして言いました。
「おい坊主、ちょっとそこに立て、写真撮ってやるよ」と言わはったので、言われたポーズで看板の横に立って撮ってもらいました。
それから15分も経たないうちに走り出しました。
「ちょっとそこで休憩するか」と、出発地点のちょうど反対側で、YHでもらったおにぎりを食べました。
「おい、さっきの川へちょっと釣りしに行くか」
さっきの川とはオコタンぺ湖のことで、「後で釣りするか」と言っていたので、食べ終わってから行くことになっていました。

「ぼうずですねぇ」
「だめだな、行くか」
結局10分足らずでまた走ることになりました。
ここからはずっと砂利道で、僕が借りたマウンテンバイクは結構簡単に走ることができましたが、三谷さんのサイクリング車では少し走りにくかったようです。
ようやくきれいな道に出たのは2時頃でした。
「ちょっとそこで写真撮ろ」と、1キロほどのトンネルを通り抜けた後、写真を撮るのに最高の場所があったので、そこで撮ることにしました。
「よし、あともう少しだ、がんばれよ」
「うん、大丈夫ですよ」
「じゃ、ちょっととばすかぁ。5時にはメンバーのやつらも来ることだし」
「あっそうや、ちょっと苔の洞門へ行きませんか?いやぁちょっと行ってみたかったんですけれども」
「おぅ行こうか、俺も一回行ってみたかったからな」

「後もう少しですか?」
「あそこだ!」
「え!どこですか、え、あの駐車場ですか?」
「おぅそうだ」
「えぇぇぇぇこんな近かったんですか、へぇ」
と、その駐車場に自転車を停めてから苔の洞門へ歩いて行きました。
いろいろしゃべりながら10分ほど歩いて、やっとこさ入り口に着きました。
「けっこう時間かかりましたね」
「この岩って、コケっていうよりも毛みたいだな」
「あっちょっとそこで写真撮りませんか」
と、岩と岩とにはさまった石の下で写真を撮ることにしました。中は、すっごく涼しくて、大量の汗がどんどん引いていきました。
「けっこう涼しいですね・・・」
「・・・ああそうだな、よし、帰ろうか」
「そうですねえ、そのまえにここで写真撮りませんか?」
「おぅ、しかし俺のカメラはフラッシュが壊れててあんまり期待すんなよ」
「でも一応かっこよく撮ってくださいよ」
一番奥の木の看板の前で写真を撮ってもらいました。
「歩いて何分ぐらいかかるか、計ってみませんか」
「はは、勝手にしろ」とか言っといて「ヨーイ・ドン!」と言ってくれました。
「20分とちょいですね」
「そうかそんなにかかったか」と言いながら、すぐに出発しました。
「よし、これからはずっと楽だぞ」と、少し嬉しそうに言わはったので、支笏湖一周の自慢をしていることを考えてしまいました。
「ちょっとお腹すいてるなぁ、昼ご飯あれだけだったもんな」
「そうですね」
「キャンプ場でなにか食べるか?」
「え、どこにあるんですか?」
「もうあと少ししたら見えてくる」
「えぇ早く食べたいですね」と、話が決まったので、それを楽しみにして走っていたら、まったく疲れを知りませんでした。
「ここだぞ」と言われキャンプ場を見たら人だらけだったので、(こんなところでキャンプして楽しいんかな)と思いました。
僕はチャーハンをたのんだのですが、客は二人しかいないくせに15分ちかく待たされました。
「なんか、むちゃくちゃ遅くありませんか?」
「『まだですか』って言ってみろ」と言わはったので、「まだですか」と言うと、「あっ、すいません」と、まるっきり忘れていたように言われました。
「よし、行こうか」「あぁ、なんか満足いきませんね、あの値段の半分で倍の量だったらまだよかったのになぁ」「はは、そうだな」とか言っているうちに、1周までもうあと数キロというところまで来ていました。
「ここか」と、言わはったので付いていったら、その先は砂利道でした。けっこう一直線の道だったので「こんな道っていいですね」と言ってしまいました。砂利道を過ぎたころに「もうすぐですか?」と聞いたところ、なぜか少し笑った表情で「おう」と言わはりました。
「ついたぞ!」僕はすごくびっくりしました。「え!もうですか、ほんとうですか」この時こそ、すっごくすっごく嬉しかったです。本当に嬉しかったです。
「ちょっとカメラ買ってきます」と、本当はここで写真を撮るつもりでした。しかし、あまりの嬉しさに忘れてしまったのだと思います。「もうすぐあいつらも来るころだな」と言わはったのでYHの方へ行きました。
「ほかのやつらは?」とか聞いているところをみると、メンバーは少しだけ着いてたみたいでした。
それから今度は支笏湖へ泳ぎに行きました。
でも支笏湖はとても冷たくて、泳げる状態ではありませんでした。しかし、嬉しいことにちょうど小さい魚たちが泳いでいたので、「いっぱい魚いますよ」とか言って、魚釣りを始めました。本当に小さい魚たちで、いっぱい釣ったのはいいけれど、余り嬉しくはありませんでした。最後だけ浅いところですこし泳いでから、6時の食事に間に合うようすぐ帰りました。

 

6時過ぎ、今日は三谷さんと別の食堂で食べることになりました。とても美味しいステーキだったので僕はすごく満足していました。
僕はけっこう早く食べ終わり、休憩所で漫画を読んでいました。そうしたら、「本日のミステリーツアーは7時半から行います、先着20名ですので宜しくお願いします」という放送があったので、「ちょっとミステリーツアー行ってみませんか」と、三谷さんのところへ誘いに行きました。
先着20名なのでグループの人達も行けるなあと思っていたのですが、なぜかみんなで相談をしてはりました。7時半、結局みんなで行くことになりました。
まあまあ大きなバスに乗って、ひたすら山へと上っていきました。「今日はとても良い天気だ」と冗談半分で言わはりました。それは、景色を見るところだったからです。それにまた、その日は曇りでした。「いやーもったいないですねえ」とか言いながら、そこで記念写真を撮ることにしました。
午後9時10分前にYHに着いてからすぐにお風呂に入りました。なぜかそこのYHは9時前なのに湯が出ないようになっていました。「うわぁ、湯出ぇへんて最低ですねぇ」というくらいむかつきました。
その後、三谷さんたちと、この日記を書いていました。また、その他にもいろいろ話しているうちに就寝時間を1時間半オーバーして11時半になってしまいました。「それではお休みなさい」と言ってから自分の部屋へ帰りました。


7時。「おい、めし喰いにいこうぜ」と、三谷さんが起こしてくれました。
僕は、なぜか食欲が湧きませんでした。やっぱり今日でお別れというのが頭にあったからだと思います。
8時45分、放送で「来田猛君、受付まで来て下さい」と流れたので、急いで行きました。そしたら、出入り口の方に三谷さんが立っていて「それじゃあ頑張れよ」と言ってくれましたが僕としてはすごくさみしかったです。でも、「さようなら」だけは言っておきました。
10時半発の南千歳空港行きのバスに乗るために支笏湖YHをその10分前に出ました。
本当なら、南千歳駅で降りる予定だったけれど、間違えて手前の千歳駅で降りてしまいました。でもワイド周遊券のお陰で、ただで南千歳駅まで行けました。
5時過ぎに釧路駅に着き、YHの場所がわからなかったので警察の人に地図で教えてもらいました。釧路牧場YHに着いたのは5時40分頃だったので、6時の食事に間に合うよう、急いで支度をしました。

おもしろい人達がいるのに、なぜか寂しい気持ちでした。
自分で食器を洗ってから、同じ部屋の人と一緒にお風呂に入りました。
その後、食堂で一人で漫画を読んでいました。8時にミーティングが始まったのですが、釧路湿原のことだけ聞いて、すぐに寝に行きました。


                   

釧路湿原=見渡す限りの大草原=

8月15日 月曜日 晴れ
釧路湿原駅を出た僕は、展望台へ走っていきました。
展望台に着くと見渡す限りの大草原が目の前に広がっていました。
その後、車の道をずっと下って行ったので、知らない間に釧路湿原駅からだいぶ遠くまで行ってしまいました。
(しまったなあ、このまま行ったらどこに出るんやろう)と、思いながら歩いていると、線路に出ました。
僕はほっとして、線路を駅の方向に向かって歩き始めました。
15分ほど歩いていくと、やっと釧路湿原駅にたどり着きました。
そこからまた電車に乗ってお昼過ぎに摩周駅に着きました。
駅に迎えに来てくれたYHの人の車に乗ると、お客さんは僕一人だったけれど、優しいおじさんで名所のガイドもしてくれました。15分ほど乗って屈斜路原野ユースゲストハウスに着きました。
それからすぐに昼食を食べ、受付の優しいお姉さんに、普通なら1,500円するマウンテンバイクをただで貸してもらって、屈斜路湖まで釣りをしに行きました。
何度ルアーを投げても釣れないので、もう帰ろうかなどと思っている時に、後ろに僕よりだいぶんちいさい子どもを二人連れたおじさんがやってきて、子ども二人にえさをつけさせて、自分一人で釣り始めました。すると、ルアーでは全然釣れなかったのに、そのおじさんは5秒足らずで最初の一匹を釣りあげました。
僕は釣れなくても一人でしゃべっているのに、その親子連れは一言もしゃべらずに、子どもが黙って餌をつけ、おじさんはすました顔で釣っていました。(あんなバシャバシャ釣れるんなら、子供らに釣らしてやってもええやろ!)とムカつきながら見ていました。
今思うと、本当はそのおじさんは自分で餌をつけるのがいやだったのかもしれません。
4〜5匹釣るまで見た後、僕はマウンテンバイクで遊ぶことにしました。
空がちょっと曇ってきたので、YHに帰りました。
普通のYHの収容人員は百人位ですが、ここは広いのに定員28人で、すごくゆったりしています。
それからすぐに洗濯して、午後4時半、誰もいないうちにお風呂に入りました。
お風呂はここのが、僕が北海道で泊まった全部のYHの中で、一番きれいでした。あがってしばらくしてから、おいしい夕ご飯を食べました。
この日はほかの人達とはあまりしゃべらなかったので、特に書くことはありません。


8月16日 火曜日 晴れ
昨晩の空模様で今日は雨かと思っていたけれど、朝早く目を覚まして外を見てみると、全然いい天気でした。
こんなにいい天気だったら散歩でもしょうかと思ったけど、やっぱりもう少し寝ることにしました。
7時半にまた目を覚まして、顔を洗いに行きました。
それから真っ先に食堂へ行き、僕だけ座って待っていました。すると、おいしい朝食がズラリと並びました。YHは28人で満員でしたが、僕が一番食べるのが早かったです。
頼んでおいたYHの車で、川湯駅まで行きました。
送ってくれたいおじさんから、岩尾別の魚についていろいろ教えてもらいました。
それから、斜里まで行って、すぐ向かいの食堂で、入ってすぐに「イクラどん」と注文して、トイレに行きました。
ムシャムシャご飯を食べるとき、プチプチイクラが潰れていくのがおいしかった。
その後、バス停留所で10分ほど待ってから1,700円払ってバスに乗りました。
その後僕はすごく眠たかったので、岩尾別に到着するまでの1時間10分のほとんどの間、寝ていました。
目が覚めてパッと外の景色を見てみると、そこはオホーツク海でした。
なんちゅうてもきれいなので、感動しました。眠気もふっとびました。

岩尾別に着きました。
ここには岩尾別YHの他に何もなく、このバス停で降りる人はみんなここの宿泊客です。
早速僕はYHに行きました。行っても暇ですることがなく、結局ずっと横になっていました。
ここのYHは、収容人数が91名だけど、レストランが60名しか座れないので、あっと思って急いで行きました。
屈斜路湖のYHに比べてあまりおいしいとは思えない夕食だったけれども、しょうがなく全部食べました。僕が、夕食を早く食べ終えたのには、もうひとつわけがありました。それは、ふだん入れないオホーツク海の浜辺で、きれいな夕陽を見るツアーです。僕は本当に楽しみにしていて同じ部屋の人と一緒に行きました。
でも全くの期待はずれでした。雲に隠れて全然見えなかったのです。僕は「どこが夕陽ツアーや、夕陽なんか全然見えへんやん」と、一人で言っていました。
6時45分になったので、しょうがなくYHに帰りました。
ここのミーティングはすごく楽しいみたいだったけれども、僕にとってはあまり楽しくはありませんでした。後の遊びだけ寄ったりしていました。


8月17日 水曜日 雨〜晴れ
せっかく山登りのツアーに参加しょうと思っていたのに朝からすごい雨で、とても行ける状態ではありませんでした。
「あぁ雨かぁしょうがないなぁ、釣りでもしょうかな」と、昨日一緒に夕陽ツアーを見に行った水野さんという人と話していました。
僕が泊まっていた部屋に、眼鏡をかけた塾の先生がいてはったので、その人と三人で釣りに行くことにしました。はじめのうちは、だいぶん曇っていたので(こりゃ雨降るなぁ)と思っていたのですが、お昼にならないうちに、だんだんと晴れてきました。
釣りのポイントは、岩尾別川の上流だと教えてもらっていたので、借りた自転車でずっと山道を登っていきました。山道はだんだん勾配がきつくなっていて、水野さんは途中で自転車を押していました。15分くらいたってから、岩尾別温泉に着きました。
岩尾別温泉は林の中にある露天風呂で、三段になって流れていました。この温泉はタダなのですが入っている人は一人でした。


「今日こそちゃんと温泉に入ろ」と水野さんが言わはったので、僕も足だけつかることにしました。その後、また岩尾別YHまで下りていき、YHの人に魚がいちばん釣れるポイントを聞きました。近くだったので教えてもらってすぐにさっきの二人(塾の先生と水野さん)と一緒に歩いてその場所に行きました。川幅は7〜8メートルで両岸は林になっていて、水が冷たく岩がごつごつしているところでした。
少し狭かったので、「釣れへんのとちゃうかなあ」と言ってから、一瞬石に引っかかったのか思うほど、けっこう凄い引きがあって(おぉぉぉぉ)って感じで引き上げたら、それはオショロコマでした。
「お!さすが釣りの師匠!」と、塾の先生が言ってくれました。
僕は、その時は、なんの魚かわからなかったので、釣って真っ先にYHの人に聞きに行きました。
それから結構ながい時間釣りをしていたけれども、釣れたのは結局その一匹だけで、あたりすらもなかったのでやめることにしました。その後、オホーツク海に行きませんかと二人を誘って、YHの人に道を聞きに行きましたが、「それはちょっと無理ですね」と言われてしまいました。
しょうがないので少し休んでからすぐ近くの岩尾別自然センターに行くことにしました。
塾の先生はモトクロスのバイクだったので先に行ってもらいました。
ずっとずっと坂を登って行き、やっと自然センターに着きました。
僕は少しだけ早く着いたので、ハンバーガーとコカコーラをおやつにしていました。
(ちょっと遅いなあ)と思っていると、「ここにいたんか」と声がしたので振り向くと、水野さんと塾の先生がいてはりました。「ここにいたんかって、探してはったんですか?」と言った後、すぐに食べ終わり、「岩尾別の四季」という映画を観ることにしました。
僕は割引券を持っていたので150円で観ることができました。
その後、横にあったお土産コーナーで30分くらい見ていたけれど何も買いませんでした。午後4時過ぎにYHに戻りすぐにお風呂に入りました。今日こそはと夕陽を見るためにまた早く食事を済ませました。その後、カメラを用意して夕陽が沈まないように、今度は走っていきました。
すると、夕陽の光だけが見えて太陽が見えなかったので(雲がかかっているんかなぁ)と思い、ずっと待っていました。5分ぐらい待っていたのですが、結局何も見えないまま帰ることになりました。7時から8時までの間、僕はベッドの中で漫画を見ていました。
8時過ぎにミーティングを聞きに行きました。今日は第二のミーティングも聞くことにしました。第二のミーティングは、聞くというよりも「歌う」というようなもんでした。みんな大きな声で歌っていたのですごく楽しかったです。


8月18日 木曜日 晴れ
朝4時45分に起きて、約束していた塾の先生と水野さんとで近くの岩尾別側へ釣りをしに行きました。
昨日釣れたところに行ったのですが、全然釣れないのでYHのすぐ向かいの川で釣ることにしました。水野さんは眠いみたいだったので途中で帰ったけれども、僕らは6時過ぎまでやっていました。
「おかしいなあ」と一言つぶやきました。全然釣れなくて面白くないので、帰って寝ることにしました。

30分ぐらい寝てから、朝ご飯を食べにいきました。

二日間お世話になった人達と、とうとう別れる時が来ました。
「頑張れよ」「気をつけていけよ」と、みんないろいろなことを言ってくれました。
網走駅で、岩尾別YHにいた他の人達と三人でラーメンを食べてから別れましたが、あまり寂しい気持ちにはなりませんでした。やっぱり、まだ四日もある。好い人なんていつでも会えるんだという気持ちがあったからだと思います。
その後、すごく楽しみにしていた網走監獄に行きました。中でも一番心に残ったのが、蝋人形館の昔の囚人が寝ているところでした。生々しく昔の状況がよみがえってくるような人の表情でした。
見終わってから、天都山行きのバスに乗りました。バス停はすぐ上なのになぜか「着く時間が遅いなあ」と思っていたら、とっくに通り過ぎていました。人に聞きながら15分ぐらい歩いていると、ようやくオホーツク流氷館に着きました。
予定には書いていなかったのですが、お母さんが「行ってみたら」と言っていたので行きました。ただ、真夏のこの時期に南極並の寒さを体験するだけですが、200円もいりました。しかし、本物の南極の氷を使っていたことが、ひとつだけすごかったことです。
3時過ぎにお土産を買いに行きました。一人分のお土産と、自分の帽子を買いました。とても気前の良さそうなおばさんで、600円のキーホルダーをくれました。
6時頃、迎えに来てくれたYHの軽トラみたいなマイクロバスに乗せてもらって「網走流氷の丘YH」に着きました。
腹ぺこだったために、手続きなして食べたいくらいでした。
そこの夕食は、蟹を沢山使っていました。
蟹の入ったお味噌汁。本物の蟹かまぼこ。蟹の足二本。蟹鍋など、凄く美味しかったのでぜんぶ食べてしまいました。
僕が座った席は全員女の人だったのですが、ゲラの人が何人も混ざっていたので、僕も含めて楽しく食べられました。
そのお姉ちゃんたちとミーティング前にUNOをしたり、トランプをしたりしていたので今日は楽しいそしてなぜか短く感じた一日でした。


8月19日 金曜日 曇り一時雨のち晴れ
今日は一日、一番楽しくない日だったと思います。
朝7時14分、はっと目が覚めました。8時16分のバスに乗るには危ない時間だったからです。なぜなら、まったく出発の用意をしていなくて、また朝ご飯も食べていなかったからです。それにうんこもしなければなりませんでしたが、その日は省略しました。
7時半ごろようやく用意ができたので、朝食をとりに行きました。「おはようございます」と言った後、フランスパンを自分で焼いて食べました。
8時12分前、YHの前で岩尾別から一緒だった児玉庸子さんと大橋祐佳子さんとに写真を撮ってもらい、ゆっくり歩き出しました。「いってらっしゃ〜い」と、ヘルパーの人が言ってくれたので、明るく「行ってきます、さようなら」と言いました。しかしこんどはヘルパーの人が急いだ口調で、「12分のバスに乗るんですか?」と言わはったので「はい」と答えました。すると今度はいかにも遅いぞという感じで、「急いで下さい」と言ってくれました。間一髪のところでした。
YHを出る前、「おっ、君一人か?気をつけてな」と言ってくれた、埼玉から来たなかなかかっこいいお兄さんも、同じバスに乗っていました。これもまた偶然、9時半発のオホーツク4号でもお兄さんと同じ席でした。
「うわっ、すごい偶然だなあ」とその人。
「そうですねえ」
「どこで降りるの?」
「えーと、上川で」
「じゃあ、僕の前だな」
「あ、そうなんですか」などと話していると、すごく寝くなってきたので、寝ることにしました。
「お休みなさい」と、ひとこと言って寝ました。
一時間ぐらい寝てから、次の駅で思わぬハプニングが起きました。
電車のエンジン止まってしまったのです。
そのために2分のはずが7分間停車していました。
悲惨なことに発車してから40分ほど、冷房と電灯がつかないままでした。
「暑いですねえ」
「おお、つらいなあ」
などと言いながら、駅弁の蟹めしを食べていました。
12時24分発のバスに乗り、層雲峡バスターミナルまで行きました。
周りにYHが見当たらなかったので、警察の人に聞いて行きました。ここからが全然面白くなかったのです。
まず荷物を置いてサイクリング車を借りに行きました。「はい、普通の自転車は1,500円。マウンテンバイクは2,000円ですよ」と言われました。
僕が持っていた今日の分のお金は、残り1,910円で、YHからもらった自転車の割引券を持っていたので足りるだろうと思っていましたが、乗りたかったマウンテンバイクは割り引きできないですよと言われてしまいました。
むちゃくちゃムカつきました。いくらマウンテンバイクでも2,000円はないやろ。とぶつぶつ言いながら、まあいいかと思い、普通の自転車に乗りました。
しかし、自由に乗れると思っていたのに、コースが決まっていて、自由に乗ることができませんでした。それに加えて目的地点では雨ザーザーだったためにビショビショになってしまいました。
帰ってからもずっと暇でした。
本も遊び道具もなく、面白くないところでした。特に話す人もいなかったので、真っ先にお風呂に入りました。そして、ここでもまたおいしい料理を食べ、明日の予定のために夜のミーティングで観光案内の説明を聞きました。明日の朝6時発のロープウェイに乗ろう。そうしたら、8時40分発のバスに乗り遅れないだろう、それで、ロープウェイを安くいくらでも乗るために、YHの会員証を返してもらい、朝食の代わりに弁当をもらいました。そんなことをしていて、結局寝たのは昨日と同じ11時過ぎでした。


                    
「おい、ころだ!」

8月20日 土曜日 晴れ
朝5時、層雲峡の大雪山ロープウェイに乗るために、同じ部屋に泊まった人に起こしてもらいました。ロープウェイは6時発なのですが、少し早めにYHを出ました。
歩いて2分ぐらいすると、たくさん人が並んでいたので、「あそこやな」と思い急いで行きました。本当なら6時発に乗っていたのですが、余りにも人が多かったので、6時20分になりました。いくら乗れたといってもぎゅうぎゅう詰めで全く楽しくありませんでした。
次に乗ったリフトは、ロープウェイを降りた七合目から五合目までつながっていたので、木と木のすき間から出る太陽の光が待ち遠しいくらい寒かったです。
8時過ぎ、昨日もらっておいた弁当を道ばたで食べからすぐにYHに戻りました。それからすぐに支度をして、30分頃に出発しました。
僕がバスに乗ったときには、もうたくさんの人達が乗っていました。
次の上川駅では、かなりの時間汽車を待っていたけれど、とても暖かかったので気持ちが良かったです。ちょっとしか待っていなかったように感じました。
僕は自由席なので、(あんまり空いてないんと違うかなぁ)と思いながら客車に入っていくと、たくさん空いていたので驚きました。札幌までは3時間以上かかるので、ゆっくりと寝ていました。今日の宿泊地小樽に1時15分と早めに着いたので、近くのレストランに入ってスパゲティーを食べました。
食べ終わってから、「すみません、この辺でお土産屋さんはありますか?」と尋ねると、「この裏の山をロープウェイで上ったとこくらいかなぁ」と言われたのでしょうがなく、ロープウェイに乗ることにしました。
でも山の上からの景色は格別で、またすごく楽しい遊び場があったので、お土産なんか忘れてしまうくらいでした。それでもやっぱりお土産を買いにきたので、最後にお土産を見に行きました。しかし全然いいのがなかったので、結局何も買わないまま遊んで終わりでした。
その後、YHに行ってソファーの上で高校野球を観ていました。そうしているうちに受付の時間になったので、すぐにそれを済ませました。
それからずっとベッドでごろごろしていると、僕と同じぐらいの体型の人が入ってきたので僕はすごくびっくりしました。(もしかして、僕と同じ歳で一人かなあ)などと考えるとその人が一階の電話ボックスの方へ行ったので、後について行ってみると、親に電話だったみたいで、やっぱりその人も一人旅でした。
それから、その人が誰かとしゃべっているのを聞いていると、その人は中二で埼玉から来ていると聞こえたので(良かった、僕より年上や)と思いました。
それから、その中二の人と少ししゃべってから、一緒に夕ご飯を食べに行きました。
その後、さっきのうちに洗濯機に入れておいた洗濯物を取ってから二階に上がろうとした時、「ころだ!」と、僕を呼ぶ声が聞こえハッとして振り向きました。
僕はすごくびっくりしました。北海道の旅の中でこれが一番びっくりしたことです。その人は、支笏湖で一緒だった三谷さんだったからです。
「いやぁ、なんでここに来はったんえすか?」
「おまえの予定に合わせてやったんじゃねえか」
「え、そりゃ嬉しいですねえ」
「しかしぃ、おまえもよくここまで来れたなあ」
「いやぁ、あそこで帰ってたら怒られてましたよ」
など前のことを話しているうちに、僕が昼行ったばかりの天狗山に、小樽の夜景を見に行くことになりました。
それまで僕はあまりきれいな夜景を見ていなかったので、その美しさに驚きました。

その後、すぐに帰り、お風呂に入ってから、ワインパーティーに行きました。しかし僕はまだ子供なので、オレンジジュースだけを飲んでいました。
途中で僕は、明日泊まる予定の函館の「ペンション青柳館」へ予約するのを忘れていたので、11時過ぎに電話しました。良かったことにまだ空きがあって。「はい、わかりました」と話をつけることができました。


8月21日 日曜日 晴れ
今日の朝、三谷さんともう一人の久保さんと一緒に、小樽の町を歩きました。
北海道といえば大自然を想像するけれども、小樽は普通の町でした。
しかし小樽は京都と違って、道はすごくきれいで、おしゃれな建物が並んでいました。
小樽運河では小さな魚がいっぱいいて、釣りをしたくなりました。そうしていると11時を過ぎ、三谷さんたちが、電車に乗るために自転車を分解する時間になりました。僕は、それをずっと見ていました。だいたい15分ぐらいで分解できたけれど、お腹がすいていたせいか、すごく長く感じました。
その後、すぐにお昼ご飯を食べて、電車に乗ることになりました。けっこう電車を待っていたけれども、その間降りてからのことを話していたのでおもしろかったです。
電車に乗ってから、「おれさぁ、函館の旨い酒場知ってんだけどさぁ」「おお、いいじゃん、そこ行こか」などと話しているのを聞いているうちに眠たくなってきたので、床に座って寝ることにしました。
というのも、僕たちは自由席が空いていなかったので、みんな通路の真ん中で休んでいたのでした。
目が覚めてからまだまだ時間があったので、トイレの向い側の洗面所の横で三谷さんと歌を歌っていました。
それから何時間も何時間も電車に乗って、函館に着いたのは夕暮れ時でした。
その後、さっき話していたうまい炉端焼きの店を探してから、小さい中華料理店で晩ご飯を食べました。僕が食べたのは、中華飯と餃子でした。
ご飯を食べ終えてから店の前で写真を撮り、後の二人は函館の夜景を見ずに炉端焼きの店に行こうとしたのですが、僕はどうしても夜景が見たかったので、じゃあ、僕一人で行きますと言うと、結局3人で行くことになりました。
そこから函館山行きのバスに乗ることになりました。
だんだんだんだんカーブをくねくねと登っていくと、五合目ぐらいから夜景が見え始めました。
一瞬だけしか見えなかったけれども、すごーくきれいに見えたので、あの時の気分はハイでした。しかし、今見ておくとあまり後で感動しないので目をつむっていました。バスも親切で、車内の電気を消してくれていました。
三谷さんは僕が見えないと知っているのに、「おぉぉぉぉ、いいじゃねえか」などとわざとらしく言っていたので猛烈に見たくなってきました。
頂上でバスを降りて、展望台の階段を駆け上がっていきました。その時、パッと目に映ったものは・・・・・・霧だけでした。夜景は全然見えませんでした。
三谷さんは、「なんだ五合目ぐらいからの方が良かったじゃねえか」とか言わはったので、僕もそう思いました。久保さんは展望台の夜景を見たとき、「さあ、帰ろうか」とすぐ言わはりました。僕も同感でした。
しかしすぐに、帰らなくて良かったなあと思いました。それは、霧が風で晴れて、全然見えなかった夜景が、急に見え始めたからです。
僕と三上さんは「函館山」と書いた大理石の上に立って、夜景をバックに写真のうまい久保さんに写真を撮ってもらいました。
それからずっと夜景を見ていて、帰ることにしました。
バス停について、駅に立って宿の案内をしている人に声をかけられたので。青柳行きの市電はいつごろ出るのか教えてもらいました。
二人に見送られて、僕は電車に乗りました。
「じゃあな、元気で頑張れよ」
「はい。ありがとうございました」
僕はペンションで寝ましたが、二人は駅で寝ていました。

青柳駅に着いてから、一人でとぼとぼと二百メートルほど暗い道を歩いて「ペンション青柳館」に入り、寝ようとした時、僕はいいことを思いつきました。
「あ、そうや。三谷さんや久保さんを明日見送りに行こう」
そう考えてすぐ宿屋のおっちゃんに明日の朝のご飯をキャンセルしてもらい、また明日の朝一番の市電の時間を教えてもらいました。「一番早いので7時9分かなあ」と言わはったので、よし、これやったら見送れるぞと思い、すぐに出られるよう支度を始めました。結局寝るのは12時過ぎになりました。


                   


ああ。終わったなあ・・・。

8月22日 月曜日 晴れ
朝6時59分、目が覚めました。もう時間がありません。着替えなくてもいいように、服を着たまま寝ていた僕は、すぐに宿賃を払い、顔も洗わずにペンションを出ました。
時間ぎりぎりに青柳町の駅に着いたのですが、いつまでたっても市電が来ないので(寝坊しているのとちがうかおっちゃん)と思いました。ようやく電車が来て、会えるか会えないか心配しながら乗っていました。函館の駅についてホームへ走って行きました。改札口で駅員さんに周遊券を見せて、「乗らないんですが」と言ってホームに入りかけましたが、「周遊券は入場券にならないよ」と言われてしまい、でもそんなことよりも一刻も早く探さないと会えなくなるので「あ、すんません」と言って入りました。
ホームに入ってから、前の晩に「7時40分の電車」という言葉を聞いていたので、その時刻に発車する電車を探しました。その電車は4番線から発車することになっていたので、自由席で通路に自転車が置いてある車両を探しました。幸いすぐに見つかり、ヤマ勘で後ろの車両を探してみると・・・見つかりました。すっごく嬉しかったです。
思わず窓ガラスをバンバン叩いて振り向いてくれるのを待ちました。すぐに気がついて二人で降りてきてくれました。
「おお、内心来てくれると思ってたんだぜ」
「おお、来てくれたんか」と久保さん。
朝ご飯をキャンセルして来たことを言うと、近くでむちゃくちゃおいしいという「道南食堂」を教えてくれました。
最後に、
「じゃあ。元気で頑張れよ」と二人に言われ、僕は「え、そんなんもう、元気で頑張れよって(僕の旅も)今日で終わりじゃないですか。どうもありがとうございました」と、答えました。
10分ぐらいの時間でした。
本当にさみしいけれども元気よく手を振りました。

それからホームを出て、道南食堂へ食べに行きました。
その食堂は満席のため、しばらく外で待ちました。席が空いたので中に入り、ウニ丼を頼みました。隣の席に座った、毎日ここに食べに来ているというおばちゃんから、「僕、一人で来てんのか、偉いなあ」と、ほめられ、おばちゃんが頼んだイカソーメンを半分もらいました。すぐそばに海があり、むっちゃくっちゃおいしかったです。
今日は旅の最終日で、京都行きの電車が出るまで8時間ほどあったので、百貨店やお土産屋さんをまわりました。百貨店は3軒まわりました。
荷物が重くてしんどかったです。暇なのでときどき独り言もしゃべりました。

帰る日がとうとうやってきました。
僕は「日本海4号」に乗り、(終わったなあ)と思いました。僕はなぜか涙が出そうでした。ジーンとしました。
僕の席は寝台車の誰もいない席でした。あまりにも暇なので、ホタテ弁当を食べることにしました。しかし、まだ5時なので7時になってから食べようと思い、しょうがなく景色を見ていました。
7時頃になったのでご飯を食べることにしました。ホタテ弁当をばくばく食べて、あまりにも暇なので、8時過ぎに寝ることにしました。
でも、9時頃になってお腹に激痛が走り、目が覚めました。それはホタテ弁当にあたったのでした。さっき途中でまずくて残したのですが・・・。仕方ないのでバッファリンを2錠飲んで寝ました。

台特急日本海で京都まで16時間。京都が近づくにつれて、心臓がどきどきしてきました。
翌朝9時16分、京都に着きました。
僕はその時、「ああ、終わってしまった」という気持ちになったのです。
ホームに迎えに来てくれたお祖母ちゃんは泣きそうな顔で、お母さんは泣いていて、お父さんはとくれば、ニタニタ笑っていました。
しかし僕もお父さんに負けないほどの笑顔でホームに降りました。