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翌日は10時頃まで寝ていた。
天気も良いし時間がもったいないのでフロントに行き、レンタカーを頼んだ。フロント嬢がパペーテのレンタカー店に取り次いでくれ、電話で注文すると午後に届けるから待っといてくれと言う。
結局5時間待っても来なかった。
この国ではもう腹を立てないことにする。
散歩でもしようとホテルを出た。幹線道路はホコリっぽく、モーレアを見た後ではタヒチの本島は殺風景だった。

食料品店でサラダとビール、それからバナナ(のようなもの)を買い、海岸線に出て、モーレアに沈む夕陽を眺めながら、そばに寄ってきた犬と一緒に、遅い昼食をとった。
バナナのようなものは、皮をむくとペンキのようなオレンジ色で、かじるとまるでマーガリンのような味がして、とても食べられなかった。あれは何だったんだろう。


I want you.

日が暮れてホテルに戻ると、フロントにかわいいタヒチの娘さんがいる。
部屋に帰ってしばらくしてから彼女を撮りたくなり、小型辞書のJEMを手に自前の英語を頭の中で組み立てながら下りていった。
「僕はあなたの写真がほしい。よろしいですか?」これでいいだろう。それにしてももっと学校で勉強しておくべきだった。
彼女は実習生で、フロントコーナーの中に正規のフロント嬢と二人ではいっていた。
少し斜め前に立ち、笑顔で挨拶する。もう一人のフロント嬢はうつむいてペンを走らせている。
「I want you ……」
隣のフロント嬢のペンを持つ手がぴたっと止まった。
彼女は大きく目を見開いて声も出ない。
「I want your ……」
僕の額からは脂汗が滲みかけている。そのままの状態で数秒間、表現しがたい沈黙が流れた。
「Your picture all light?」
でたっ よかった
“写真なら行ってもいいよ”と隣のフロント嬢がうつむいたまま手で許可を出す。
彼女、嬉しそうにカウンターから出てきた。

それからロビーのソファーで話しながら、次第に彼女の魅力に引き込まれていった。
その虚飾も邪気もない心洗われるようなタヒチファヒネの笑顔。まるで花のようだ。人間ってこんなに美しい存在なのだ。
(そんなことはあり得ないが仮にもしも)この娘から愛を告げられたとしら、今まだかろうじて残っている僕の頭の線は完全に切れてしまうだろうと思った。そして頭の線が完全に切れる日、それは僕が家族と日本を捨てパレオ(腰巻き)を巻いて裸足でタヒチを歩き出す日だ。
束の間の幻想を胸に、彼女に写真を送る約束をしてロビーをあとにした。



「そして全てが美しいとき、全ては善だ」(ゴーギャン)

夜中になって目を覚まし、ホテルのバーへ行った。
ひとりでヒナノビールを飲んでいると、現地で3年間観光客の世話をしているHさんがやってきて、一緒に飲みはじめる。
彼の話を聞きながら、ますますタヒチの人情に引き込まれていった。
ここにきてまだ4回目の夜ながら、彼が語る言葉の背景が自分なりによく理解できた。
「国際的民族」という言葉がある。それらはたいてい華僑やユダヤ人たちを指して言われるが、彼等の場合世界各地に散りながらも強い同胞意識を持ち続け、世界中どこにいても、その地の国民とは一線を画して同化することはない。
ところがポリネシア人の場合は、それとは全く正反対の意味での国際的民族であるという。
彼等の多くは混血で、世界中の血と宗教と倫理観とが混じり合いながら、しかもそれらの要素がこの美しい風土と何事にも囚われない民族性の中で消化排泄され、世界に散らずこの地にいて異国の人間と文化を受け入れながら逆にそれらを同化していった。
彼等は拒絶の民族ではなく、受容の民族なのだ。そしてその結果としてここには“世界”がある。

1世紀余り昔、タヒチを訪れたゴーギャンが、現地の娘と結婚したとき、その母親は娘を嫁がせるにあたり、彼が言葉もろくに通じない異国の民であることなど全く気にしなかった。ただ、何日か経ってから必ず母のもとに一度返すこと。そのとき娘が幸福でなければ二度と彼のもとには返さない。という条件を付けた。
ゴーギャンは心から彼女を愛し、そして彼女は再び彼のもとに帰ってきた。
大航海民族ポリネシア人にとっては、相手が何人であってもかまわない、そんなことより愛の強さと大きさこそが大事なのだ。それが誰であれ、男と女が愛し合えば子供が出来るのは当たり前。紛れもなくその瞬間の愛の結晶として生まれた子供は、いずれ父が母から、母が父から心変わりしてほかの相手と一緒に暮らすようになったとしても、それはそれでよくある普通のことで、それによって社会的に不利な立場に置かれることもない。父親の違う兄弟姉妹は、ここにはいくらでもいるからだ。
それはなにもタヒチの男が助平で女が淫乱なのではなく、生きることへの純粋な情熱がなせる業なのかもしれない。心の中に蠢く自然の願望の全面的な肯定。生きるということは、何をしてもいいということなのだ。
タヒチでは犯罪もなくスキャンダルもない。というより犯罪はともかく、日本でのスキャンダルはここではスキャンダルとはならないのだ。だから日本にあるような下世話な週刊誌などというものもない。あっても誰も買わないだろう。犯罪のないタヒチで、新聞はなにを伝えているのか。「どこそこの誰それが結婚しました」「子供が生まれました。名前は…」これは真面目な話である。ただ何年か前にいちど、パペーテの町で史上初めての銀行強盗がでた。島中はその話で持ちきりになりいろんな噂が飛び交った。「どんな武器を使ったんだろう」「たぶん水中銃だ」などと…。やったのは白人だというところまで判ったが、未だに犯人は捕まっていないらしい。
もうひとつ、タヒチには売春がない。昔、南ベトナムの政府高官が「世界に犯罪と売春のない国があろうか」などと語っているのをTVで見たことがあるが、ここにはそのどちらも無いのだ。

夜も更けてきてバーは閉店の時間になり、こんどは本格的に眠るために部屋に帰ることにした。途中、閉まりかけるエレベーターに駆け込んできた、よく日焼けしたハイテンションな女性と瞬間的に親しくなり、彼女の階でドアが開くまで、できないはずの英語でぺらぺら話した。彼女はブラジル人で添乗員としてここに来て、お客の世話を終えてから同僚と飲んで帰りだった。頬を合わせて手を振り合う。(最後の日の出発前、プールサイドでモーレアの島影を眺めているところへ彼女がやってきて、食べかけの椰子の実を半分に割って僕にくれ、一緒に食べた。その時初めて椰子の実の味を知った。仄甘く切ない味だった)
鍵のかかっていないドアを開けて部屋に入る。
僕のとなりのベッドでは、M氏が寝息をたてて熟睡している。